どうも、みなさん!やまちゃんちのパパこと、もってぃです。

文章の書き方練習法の一つ、「作文」について例をお見せします
文章を書く練習を始めた人
いまいち作文を書く要領がつかめない人
添削の相手を探している人
このブログには、 私が 新聞記者の経験から得た文章の書き方のコツや、練習方法を紹介する記事をご用意しています。
その中で私は、文章を書く練習方法の一つとして、「作文を書く」ことをおすすめしています。
ですが、いきなり作文を書いても、どういうふうに反省し、見直せばばいいのかわからないと思います。
そこで今回の記事では、私が2014年1月に書いた作文をもとに、
- どういった点を見るのか
- 文章のどういった部分にクセが出るのか
- 添削や校閲の考え方
を、実際に添削しながら説明していきたいと思います。
2014年1月、私が大学3年生の時に書いた作文です。
新聞社の選考過程に「作文」があるため、文章を書く力を身につけるため、毎週1~2本の作文を書いていました。
今回お見せする作文は、その1本です。
テーマは「職人」です。
8年も前に書いた作文なので、ほぼ他人が書いたような印象しか受けません。
これまでに培った記者の視点もいかして、添削をしていきます。
みなさんの練習の参考になれば幸いです。
記事の最後には、ちょっとした企画の告知もあります。
では、いきましょう。

最初に、全体の流れをお知らせします。
まず、全文を通して読めるように作文全体(約1千文字)を載せます。
その後、文全体を5つのパートに区切り、中身を見ていきます。
最後に、全体を総括した解説をします。
阪神本線・岩屋駅を降りて、県立美術館の方へ歩を進める。しばらく行くと、左手側に、クリーム色の、頑丈そうにそびえたつ、一群のマンションが見えてきた。HAT神戸・灘の浜。一九九五年、一月十七日。阪神淡路大震災で家を失った人のために建てられた復興住宅の一つだそうだ。設立から十年近くたったクリーム色の外壁が、とても温かみのあるものに感じられた。
「二十年近くも経つと、綺麗になるんだな」
震災当時、私はまだ3歳にもなっていなかった。当時の記憶もない。そんな私が復興住宅を見た感想は、ただそれだけだった。
「ここに来る途中に、おっきなマンションがあったやろ。あの建設に、わしも関わったんや」
復興住宅からほどなく、人と未来防災センターがある。阪神淡路大震災記念のセンターで、当時の写真・手記などの資料や、南海トラフについてのデータなどが展示されている。
そこで私は、鉄筋工職人の一人として、先の復興住宅建設に関わった男性と知り合った。
自身も、一時仮設住宅に入居した経験があるという。
「えらい綺麗な建物やったやろ。不謹慎かもしれんが、いい仕事をしたと思っとる。でもな、兄ちゃん。ちょっとこの数字見てみぃ」
男性に促されてモニターを見る。モニターに映る、「一〇一一」の文字。
「去年までの、復興住宅で孤独死された被災者の方々の数や。いくら建物をきれいに作れても、その中の人間関係までは作れんかった。わしの同窓生も、独りで亡くなった。」
沈痛な面持ちでモニターを見つめる男性に、私は何の言葉も掛けることが出来なかった。
帰り道に、もう一度復興住宅を見上げてみる。先ほどは温かみのあるように感じたその外壁が、とても冷たく、分厚いもののように感じられた。
ホテルに戻り、阪神大震災関連のデータや記事に目を通してみる。その内の多くは、復興の進み具合や、被害から立ち直る人々について描きだされていた。
なぜ。まだ苦しんでいる人々がいるのに。
そんな思いに駆られた時、復興住宅を初めて見た自分を思い返した。
「綺麗になるんだな。」その感想こそが、私のものの見方がいかに表面的であるかを物語っているようで、恥ずかしく感じられた。
表面は、いくらでも取り繕うことが出来る。その内側の、ドロドロした現実を見つめることが出来ていたのか。その厳しさと、向き合う覚悟を持っていたのか。
その覚悟を持てたとき、もう一度岩屋を訪れたい。あわよくば、記者として。
こう見ると長いですね。
では、5つのパートに区切って、それぞれ見ていきます。
阪神本線・岩屋駅を降りて、県立美術館の方へ歩を進める。しばらく行くと、左手側に、クリーム色の、頑丈そうにそびえたつ、一群のマンションが見えてきた。HAT神戸・灘の浜。一九九五年、一月十七日。阪神淡路大震災で家を失った人のために建てられた復興住宅の一つだそうだ。設立から十年近くたったクリーム色の外壁が、とても温かみのあるものに感じられた。
「二十年近くも経つと、綺麗になるんだな」
震災当時、私はまだ3歳にもなっていなかった。当時の記憶もない。そんな私が復興住宅を見た感想は、ただそれだけだった。

気になったところに線を引きました。
このパートで気になるのは次のような点です。
- 「岩屋」がどこだかわからない人もいるのに、いきなり「県立」と言っている
- 「しばらく」ってどのくらい?
- 「頑丈そう」って、建物としては当たり前
- 「一月十七日。」という体言止め
- 「クリーム色」がこの短行の中で2回も出ている
- すぐ直前に「十年」とあるのに、セリフの中で「二十年」と出てきて混乱する
- 「3歳」。これまで漢数字だったのに、ここだけ洋数字
第1パートから、修正箇所だらけですね。
ある程度共通して言えるのは、少なくともこの作文はどんな人が読むのかを考えて書かれていないということです。
最初の「県立」がその象徴です。
岩屋がどこにあるのか知らない読者がいることを微塵も考えていません。
わかりやすさを意識するなら、ちゃんと「兵庫県立」と書くべきでした。
「十年近く経った」の直後に「二十年も経てば」と書いているのも同じですね。
続きをしっかり読めばわかるようにはなっていますが、少しでも読者に「なにこれ?」と思わせてしまったら、
そこで読むのをやめられてしまいます。
そして、主観的な表現が多いです。
「しばらく」「頑丈そう」「クリーム色」ですね。
これらの言葉は、読者によって印象が変わってきてしまいます。
「しばらく」ではなく、「徒歩●分」、「頑丈そう」は「鉄筋コンクリート造り」という風に、
詳しく書くことで誤解をなくせますね。
漢数字と洋数字の表記の揺れもあります。
これは、気になる人にとっては最も気になる点なので、大幅減点ですね。
次のパートを見てみます。
「ここに来る途中に、おっきなマンションがあったやろ。あの建設に、わしも関わったんや」
復興住宅からほどなく、人と未来防災センターがある。阪神淡路大震災記念のセンターで、当時の写真・手記などの資料や、南海トラフについてのデータなどが展示されている。
そこで私は、鉄筋工職人の一人として、先の復興住宅建設に関わった男性と知り合った。
自身も、一時仮設住宅に入居した経験があるという。

このパートで気になるのは、次の1点に尽きます。
- 「あんた誰?」が続く
読んだときに思った方も多いのではないでしょうか。
印象的なセリフを使って、読者の興味を引き付けているつもりなのでしょうが、
誰のセリフなのか、答えが出るまでに100文字近く読み進めなくてはいけません。
我慢して読んでも、頭に「誰だろう」と疑問が残ったまま読むことになるので、
「人と未来防災センター」の名前なんか、頭に残りません。
例えば、このように書いていたらもっとわかりやすいですね。
復興住宅の近くに、「人と未来防災センター」がある。震災当時の写真・手記などの資料や、南海トラフについてのデータなどが展示されている。
そこで私は、鉄筋工職人の一人として、復興住宅建設に関わった男性と知り合った。
「ここに来る途中に、おっきなマンションがあったやろ。あの建設に、わしも関わったんや」
男性も、仮設住宅に入居した経験があるという。
他にも何か所が表現を変えている部分はありますが、文章の順番を並び替えただけです。
読者がわかりやすいように、説明の順序を並び替えるだけでこんなに変わるわけですね。
「えらい綺麗な建物やったやろ。不謹慎かもしれんが、いい仕事をしたと思っとる。でもな、兄ちゃん。ちょっとこの数字見てみぃ」
男性に促されてモニターを見る。モニターに映る、「一〇一一」の文字。
「去年までの、復興住宅で孤独死された被災者の方々の数や。いくら建物をきれいに作れても、その中の人間関係までは作れんかった。わしの同窓生も、独りで亡くなった。」
沈痛な面持ちでモニターを見つめる男性に、私は何の言葉も掛けることが出来なかった。

気になるのは、次の3点です。
- 男性のセリフ、必要?
- モニターの文字が読者に「?」を与えている
- 「言葉を掛けられなかった」でいいよね
話をモニターの文字に移そうとして、男性のセリフを使っています。
でも、いらないですよね。
「センターの壁には、『一〇一一』と映ったモニターがあった」と書けば事足ります。
行数を伸ばそうとしたのか、カッコつけようとしたのかわかりませんが、
読者にとって必要ではない情報をつけ足している典型例です。
また、モニターの文字を先に書くことで、読者に「?」を与えていますね。
こんな短い間隔で「?」が与えられ続けると、読者は読むのをやめます。
私自身、自分の作文ですがここで読むのをやめようと思ったくらいです。
それくらい、読者に「?」を与えることは悪手です。気を付けましょう。
そして、「 何の言葉も掛けることが出来なかった 」ですね。
カッコつけようとして、変な言い回しになっていますね。
「言葉を掛けられなかった」。せめて、「何も言葉を掛けられなかった」でしょう。
自分のことを頭良さそうに見せようと、変に回りくどい表現をしようとしていることがうかがえます。
帰り道に、もう一度復興住宅を見上げてみる。先ほどは温かみのあるように感じたその外壁が、とても冷たく、分厚いもののように感じられた。
ホテルに戻り、阪神大震災関連のデータや記事に目を通してみる。その内の多くは、復興の進み具合や、被害から立ち直る人々について描きだされていた。
なぜ。まだ苦しんでいる人々がいるのに。
そんな思いに駆られた時、復興住宅を初めて見た自分を思い返した。
「綺麗になるんだな。」その感想こそが、私のものの見方がいかに表面的であるかを物語っているようで、恥ずかしく感じられた。

色々気になる点がありますが、次の3点にしぼります。
- 「冷たく、分厚いもの」ってなんやねん
- あなた、苦しんでいる人に会ってないよね?そんなに価値観変わった?
- ものの見方の前に、文章の書き方を恥ずかしく感じましょう。
「冷たく、分厚い」という謎ワードです。
読者によって受ける印象が変わる言葉選びというのももちろんですが、
わかるようでまったくわからない。
「復興住宅の見え方が変わった」ということを書いて、「自分のものの見え方が変わった」ということを暗喩的に表現しようとしている気はします。
でも、そんなの読者に伝わりません。
素直に「男性の話を聞いて、考え方が変わった」でいいんです。
わざわざ読者に頭を使わせるような文章を書くと、読者は頭を使う分、文章を読むのがしんどくなります。
これが続くと、読者は離れます。
こういった暗喩や、伝わりにくい比喩表現は取り除くようにしましょう。
そして最後の、「 私のものの見方がいかに表面的であるかを物語っているようで、恥ずかしく感じられた。 」という大問題部分ですね。
つっこみたいところが多すぎます。
しっかり文章を読むと、次のように表現したいんだと感じます。
- 復興住宅をキレイだと思った
- 男性の話を聞いたら、その復興住宅の中では孤独死が頻発してるらしい
- え、復興住宅ヤバくない?と気づいた
- 最初に復興住宅を「キレイ」と思った私、表面的なものの見方だわ~~
と、こんな感じですね。
書いた張本人である私が、理解するのに時間がかかりました。
私以外の方が読んだら、もっとわからないでしょう。
たった1千字の作文の中に、壮大な話を書こうとしすぎているんですよね。
だから、伝えないといけない情報までそぎ落とすことになっていて、わかるようでわからない話になっています。
読者に話を理解してもらうために、「何を伝えないといけないのか」という視点が抜け落ちていますね。
表面は、いくらでも取り繕うことが出来る。その内側の、ドロドロした現実を見つめることが出来ていたのか。その厳しさと、向き合う覚悟を持っていたのか。
その覚悟を持てたとき、もう一度岩屋を訪れたい。あわよくば、記者として。

何が言いたいのかわからん。
頭のよさそうな言葉でまとめようとしているせいで、実際に私がどんなことを感じたのかがわかりません。
- 表面を取り繕うってなに?
- ドロドロした現実ってなに?
- 厳しさと向き合うってなに?
カッコつけて文章を書いている人が書く典型的な文章です。
似たような文章を書く人は、いますぐやめましょう。
我ながら、ここまでカッコつけて文章を書いていたと思うと、恥ずかしくてならないですね。
本来なら、「復興住宅に住んでいる人が孤独死する現実を知って、私はどう感じたのか」を読者に伝えるべきです。
「現実を知らなくて恥ずかしかった」なのか、「自分に怒りを覚えた」なのかわかりませんが、
そういった言葉を使った方がよっぽど作文の書き手の感情や意図が伝わります。
特に作文は「相手に伝える」、相手に伝わる「わかりやすい文章」を書くために書いているわけですから、
難しくてカッコいい言葉を使うのではなく、相手に自分の気持ちや考えを伝えることを第一にしましょう。

さて、中二のときの黒歴史ノートを読み返している気分になったところで、全体の総括です。
改めて全文を振り返ると、当時の私には以下のような文章のクセがあることがわかります。
- 「しばらく」「ほどなく」というぼやっとした言葉を使いがち
- 「意味深なセリフ」→種明かしの流れが好き
- 感情表現を、もので表すような暗喩が好き
この3点が目立ちます。
基本的には、どれも文章を書くときにカッコつけていることが原因となっていそうです。
文章を読んでいる人に、自分の体験を伝えようとしているというよりも、
「私、頭良さそうじゃない?」というアピールをしているような感じですね。
ですから、場面や情景、その場の雰囲気を的確に表す言葉や言い回しの代わりに、
ぼやっとした言葉や、難しい表現を使っているように感じます。
結果、読み手は疲れるし、読んでも何も伝わってこない文章ができあがっているわけです。
このようなクセをなくすには、まずカッコつけて文章を書く意識を取り払うことから始める必要がありそうです。

いかがでしたでしょうか。
今回は、8年も前の自分が書いた作文だったため、ほぼ第三者の立場からボロボロにけなすことができました。
でも、本当に文章を書く力をつけたいのなら、これくらいボロボロになるまで反省すべきだと思います。
人間、自分が書いた文章は良く見えるものです。
でも、自己満足してしまって、十分な振り返りや反省ができなければ、いつまでたっても進歩しません。
自分が意識できていないことや苦手なことにしっかりと向き合って、それを心にとどめ、次の作文を書く。
文章を書く力を磨くには、こうした努力を積み重ねるのが一番だと思います。
その一歩を踏み出すために、ぜひ一度作文を書いてみませんか。
この記事を読んで、「私も作文書いてみたい!」と感じてくださった方にちょっとした企画をご用意します。
作文の添削は今回私が記事でしたように、自分ですることもできることです。
ですが、

自分で文章を添削するなんて無理だよ

どうせなら他人の意見を聞きたいよ
といった方々もいると思います。

そんな皆さんの作文の添削を、私が引き受けます
もちろん、無料です。
さすがに他人の文章ですから、今回ほど失礼な表現での添削は致しません。
最低限、参加してくださった方の文章のクセや苦手そうな部分をしっかり見させてもらうつもりです。
ただ、一つだけ条件があります。
匿名化した上で、今回のようなブログ記事とすることへのご了承を条件とさせていただきます。
試験的な企画なので、いつ終わるかはわかりません。
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いきなり作文を送ってきてもいいですし、
「テーマをください」でも構いません。
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まとめ記事もありますので、興味があればぜひご覧下さい。
それでは、今回はこの辺で。
ありがとうございました!!